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2013.01.22,Tue
「人間は皆まったく同じ」と「人間は皆まったく違う」という2つの考え方が対立することがある。現実は「人間は同じところもあるし、違うところもある」から、各々が好きなように世界を抽象・捨象していかない限り、この極端な白黒で示すことは出来ないんだけど、僕は一応「みんな違う」寄りに考えてる。

というのも、「みんな同じ」の考えを発展させていくとだるい事態が発生するし、「みんな違う」から出発した方がたぶん楽じゃないかと思ってるからだ。どちらの考え方がより適切に現実を捉えているかではなく、どちらを念頭に置いて世界を見たら気持ち的に楽か、で自分のスタンスを選んでる。本当の本当に「みんな違う」を信じているわけじゃない。

同様に、「この世界は素晴らしい」「この世界は劣悪だ」という二項対立ならどうか。仮に素晴らしさを数値で表すとして「素晴らしい世界」は素晴らしさ100、「劣悪な世界」は0、現実の世界は50としたら、どちらの項も現実との差は50だから、正しさの点において優劣はつけられない。ゆえにどちらの考え方で以て世界を見ても構わないだろう。けど、現実の世界が60や70で「世界は素晴らしい」という考え方が正しさの点において勝っているとしても、僕は「劣悪だ」の視点を推したい。そっちの方が気持ちが楽だから。

そりゃ自身が望むとおりに人生が進んでいけば良いかもしれないけど、そんな風にうまくは行かないし、何かしらトラブルやアクシデントに見舞われる。その際「素晴らしいと考えていたものが実はそんなに良くなかった」と感じるのと「劣悪だと考えていたものが実は結構良かった」と感じるのなら、後者の方が楽なんじゃないのと思ってる。

自分の中で何か「正しい視点」を設定してしまうと、たえずその正しさの証明に身を費やす羽目になる。だから敢えて正しさを宙ぶらりの状態に保っておけば、証明の悪魔になってしまうことなしに生きられるんじゃないかと思う。とはいえ現実を認識することは必要なので自分の視点をどこに置くかで迷うことになるんだけど、この時、予期せぬアクシデントが起きた場合にも対応しやすい視点を選ぶのがいいんじゃないか。たぶん。

ところで、仲間とか友情とか信頼とかいった類の言葉を信奉する人ほど「みんな分かり合える」という視座から「みんな同じ」に派生していく傾向があるような気がする。そういう人は却って「みんな違う」と考えた方がせっかくの関係を大切に出来るように思うんだけど、どうなのかな。
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