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2013.02.20,Wed
大阪滞在2日目は雨、そのうえ月曜日だったからか万博記念公園に人は少なく、おかげでゆっくり自分のペースで散策できた。

公園は予想を遥かに上回る広さと充実っぷりで、まったく退屈しなかった。あまりに面白すぎたのでタイムテーブルを変更し、予定より1,2時間長く居たんだけど、それでもなお時間が足りないくらい。じっくり回るのなら丸一日、あるいはそれ以上要するだろうな。

まだ寒い時期だったし、自然文化園は色とりどりの花が咲いて……という状態ではなかった。それでも梅の花がちらほら咲いていたり、ネコヤナギが見頃だったりと2月らしい顔を見ることができ、あれはあれで良いものだったし、橙色のネットが張り巡らされた殺風景な「花の丘」にも却って趣を感じた。対照的に緑々しい散歩道は山奥のようで心地よく、1番好きな鳥、ハクセキレイもたくさん見掛けた(これはどこにでも居るんだけど)。

さながら子供時代のごとき胸の高鳴りを覚えるスポットもあった。月並みかもしれないけど「遠見の丘」だ。公園全体を見渡せる展望タワーが設けられているんだけど、このタワーの階段を上る時、なにかとても懐かしい感じがした。現実だったか本だったかゲームだったか、どこかで見知ったようなあの風景に童心をくすぐられ、浮遊感というかなんというか、ちょっと普段では味わえない心持になった。いわゆる純粋経験的なそれだったかもしれない。

そして民族学博物館なんだけど、これはもう、すべてに圧倒された。何によって圧倒されたのかは表現し難いけど、しいて言うなら密度。展示物から漂う密度に気圧された。

この密度は、おそらく昔なら「魂」だとか「生命の息吹」だとか言われてた類のものだと思う。でも、このような名辞を用いて試みられてきた説明はいまや通用しない。だから別の名辞でもって説明すべきなんだろうけど、自分にはちょっとよく分からない。ただ、そこには確かに何かがあるということだけは分かった。

とか言うと、ややもすれば展示物をただ高尚なものとして扱ってしまいそうなんだけど、そうじゃない。むしろ親しみやすさを感じた。ちょうど先日の「Maker Faire Tokyo 2012」で感じたものに似ていたような気がする。

親しみを感じる一因として、ものの生産の過程やそこに携わる人の影が見えるということがあるかもしれない。民族学博物館には現地の人々を映した映像や写真、生産工程などを説明したパネルがあるし、MFTでは出展者と直に話ができた。こうした存在がものを作る際のエピソードを語ってくれ、そして受け手が語られたエピソードをものに投影することで、ものに対して何らかの情、親しみや畏敬やありがたみなどを抱くのかなと思う。

ものは、何者によって語られる外在的な情報と、自身が醸しだす内在的な情報とで構成されていて、この情報の密度がすなわちエネルギーになり、エネルギーを多く含んでいるものほど人の心になにがしかの変化を及ぼしやすいのではとか考えたけど、それも書いていったら、ただでさえ下手な風呂敷たたみがより困難になりそうなのでやめておきます。とにかく、とても良い経験になった。

ところで、ギトン『読書・思索・文章』に引用されていたジャン・プレヴォの言葉に、こういうのがある。

「自分の文章を訂正する作家にとって、彼の主な努力は最初の噴出より後でなされるのに反して、訂正をしないで一気に書く作家の場合には、努力は書く瞬間より前になされる。……後者の型の作家の場合、自分とはちがった種類の作品、あるいは自分自身の個人的なノート、あるいは別な作品の断片が、彼の想像力を刺激し、興奮あるいは印象をひき起こし、それが反応して書くという行為が生じるのである。」

どうも自分の書く文章には瑞々しさみたいのが欠けてるなとは感じていたけど、これは訂正のしすぎによるものなんだろう。漢字変換という訂正行為を伴う、パソコンでの日本語入力だから尚更。風呂敷を広げすぎないためにも一気に書き上げるようにしたいところ。
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