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2013.03.02,Sat
もう2001年は「今は昔」かもしれない。小泉政権の誕生も9・11テロも記憶に新しいけど、12年も前になる。この年に生まれた子供が今や小学6年生なんだから、時の流れは早いなと思う。

12年の間で、インターネットが一般市民に普及し、マスコミュニケーションの形態は大きく変化した。ゆえに2001年に上梓されたマスコミのあり方について論じる本の中には、もはや鮮度を失ってしまっているものもあるだろう。その一方で、三面記事の研究という珍しい観点からジャーナリズムを捉えようとした玉木明『ゴシップと醜聞』は、いまでも十分な目新しさを保っている本の1つだ。

この本では日本の新聞の草創期、つまり明治初期から現代(2000年頃)までの三面記事の変遷を追っていく。それを簡単にまとめると、三面記事は
明治前期〜 ゴシップ
明治後期〜 スキャンダル
  戦後〜 中立公平な客観報道
  現代〜 ポスト客観報道
という風に変化してきたと著者は指摘している(ポスト客観報道という名は便宜上、勝手に付けた)。

面白い話(ゴシップ)が断罪報道(スキャンダル)になり、断罪報道の暴走がナショナリズムを高揚させた。やがて戦争を経験し、ナショナリズムを昂ぶらせた反省から客観報道が生まれた。しかし、反省から生じたはずの客観報道が実はスキャンダルと同じ構造を持っていることが明らかになって、さぁこれからどうしようか――というのがおおよその流れ。

なぜこの本が今もなお目新しいかと言うと、自分の感覚だけど、スキャンダルも客観報道も減っていないと思えるからだ。むしろ増えたようにすら感じる。

「逆説的ではあるが、機器の分析能力が便利になればなるほど、それを扱う人間の能力には一定以上のレヴェルの、目的、知識、倫理観、そして哲学が要求されるようになる。確かに今の機器は便利すぎるほど便利で、誰でも簡単に、何でもできてしまう。それだけに、正しい使い方を知らない者に扱わせるのは、小学生にマシンガンを与えるのと同じである。」(谷岡一郎『「社会調査」のウソ』)

ネットの普及により誰もが情報の発信者たりえるようになった。その結果、知識のない小学生が目的なくマシンガンをぶっ放す時代が訪れて、いままで時間を掛けて醸成されてきた倫理観や哲学もめちゃくちゃになりポスト客観報道どころじゃなくなってる。哲学、ここでいうところのジャーナリズムを追求している人もいるにはいるんだろうけど、いまや情報発信者の大半はそうしたことを学ぶ機会すら持たない素人だ。

ただ、その「素人」を自分から切り離して異化せしめんとするのは、それこそ本書で指摘されているスキャンダルのやり口だし、自分の未熟さにも向き合わなきゃならない。自分は単なる俗人だし、世界を横軸で見たとき知者になれるような人間じゃないけど、縦軸で過去の俗人たちと比べた場合には知者でありたい。

とにかくネットないしパソコンは便利だけど、これがマシンガンのようなものであることは心得ておく必要がある。道具の乱用が何をもたらしてきたのか、そして何をもたらすのかを考えるための1つのきっかけとして、12年前に出版されたこの本は機能しうると思う。
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