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2013.03.24,Sun
近年、文章を書けば書くほど下手になっていくように感じ、書くという行為に怖さを覚えつつある。これは自分の中のハードルがどんどん上がっていく一方で、実力がまったくついてこないために感じる恐怖だ。焦りといった方が適切かもしれない。昔は、自分の力量の認識が甘かったことを差し引いても、もう少し上手く書けていたんじゃないかと思うんだけど。

「少しでも国語の教師をした経験があれば、生徒のなかに、警句めいたものは巧みだが、まとまった文章がちっとも書けない少年がいることに気がつくであろう。こういう生徒に論文が書けないのは、彼らに思想が欠けているからではなく、思想を展開するために充分な表現法と用語を身につけていないからである。(ギットン『読書・思索・文章』)」

評論でも小説でも随筆でも、読む際にその内容ばかりを気にするようになると、それを文章たらしめている文体(スタイル)を見落とすようになる。今昔で差異がある点といえば恐らくこの部分で、昔は文体まで含めて読んでいたけれど、いつからか内容に囚われるようになった。それに伴い、かつて使えていた文体を忘れ、書けなくなっているんだと思う。

使いたい文体はあるかと問うたとき、思い浮かぶのはいわゆる漢文くずしの文語文だ。初めて北村透谷の文章を読んだときの衝撃は忘れられない。あの誦読するに相応しい格調高いリズムを持った文章。ああいうのが書けたらたまらない。いままで両手で数えられるほどしか感動という経験をしていないけど、透谷の文章はそれをもたらした物のひとつである。

ただ、漢文くずしを書いたのは透谷だけではないので、他の人が書いた文章にも触れていくのがベターだろう。とりあえず今は中江兆民を読んでいて、頼山陽『日本外史』も買ってみた。これらを血肉にしていけば、書きたいものを少しは書けるようになるんじゃないか。
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