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2015.10.07,Wed
山本昌が引退ですね。昌は自分にとって特別な思い入れのある選手なので、何らかを書きます。


僕は中日ドラゴンズのファンだったんだけど、そのきっかけは山本昌であり、そしてニンテンドウ64用ソフト『ファミスタ64』だった。『ファミスタ64』における昌、つまりプレイアブルキャラとしての昌が好きであったのが始まりだ。

『ファミスタ64』には「決め球」という概念が存在した。これは、選手の能力値には影響しないのだけれど、CPUがその投手を操作する際、この「決め球」を軸としたピッチングをしてくるというものだ。伊藤智仁ならスライダー、星野伸之ならカーブ、佐々木主浩ならフォークといった具合である。

山本昌の決め球は「スクリュー」。この「スクリュー」という言葉の語感やイメージが、当時子供だった自分には格好良く感じたのだ。スクリューを決め球にしている(決め球に設定されている)投手は少なく、また山本昌自身の能力が極めて優秀だったことから、僕は山本昌を「唯一無二の投手」として認識していた。

『ファミスタ64』は、それまでの『ファミスタ』シリーズと違い、ひとりひとりの選手に「個性」が感じられるソフトだった。上に書いた「決め球」の他には「出身地」や、12文字程度の簡単な「選手の紹介文」などが設定されていた。これはゲーム内のモードのひとつである「君の最強チーム」のために用意されたものだろう。だけど、プロ野球に興味がなかった僕にとっては、これらの要素があったおかげでゲーム内の選手が人間として確かに実在していることを初めて実感したのだ。

父親がサッカーファンだったため、僕の子供時代、家にはJリーグの選手名鑑があった。選手名鑑を読むのが当時の僕の趣味であり、これが由来でサッカーに興味を持った。同様に『ファミスタ64』が備えていた「選手名鑑」的な性格は、僕が実際のプロ野球に興味を示すのに大いに貢献した(加えて、小学館の『ファミスタ64 公認ガイドブック』の影響もある)。


山本昌は『ファミスタ64』が発売された1997年時点でプロ入り13年目。最多勝や最多奪三振、最優秀投手を獲得しているこの年にはすでに「脂が乗った中堅〜ベテラン投手」という評価だっただろう。自分がプロ野球を観始めるのはもう少し経ってからなので、僕にとって山本昌は最初から「ベテラン投手」だった。

そのベテラン投手・山本昌が2015年まで、プロ入りから実に32年にわたって活躍できたのは、本人の弛まぬ努力は言わずもがな、やはりチームカラーと昌のピッチングスタイルの相性によるものが大きいと思う。

1997年から中日ドラゴンズのホーム球場はナゴヤドームになった。広いナゴヤドームをホームに据えるにあたって、チームの育成方針、あるいは補強方針は「守備力重視」になった。その象徴とも言えるのが2004年〜2011年の「落合監督時代」であり、またその時代に重用されていた選手たちである。なかでも「谷繁元信・渡邉博幸・荒木雅博・川相昌弘・井端弘和・福留孝介・アレックス・蔵本英智」の布陣は、今でも語り草になるほどだ。他にも、平田良介・堂上直倫・岩崎達郎・大島洋平といった若手がよく起用された。

1軍〜1.5軍として使われていたこれらの選手は、たとえ打撃が売りの選手であってもまず「守れる」という前提条件を満たしていることが共通していた(ややこしくなるので李炳圭やセサルなどについてはここでは考慮しない)。

山本昌は「打たせて取る」ピッチングスタイルだ。最多奪三振の受賞経験こそあるが、やはり基本的にはスクリューを引っ掛けさせてゴロにしたり、ストレートを打ち上げさせたりする投手で、三振をズバズバ取っていく投手ではない。この「打たせて取る」投球が「守備力重視」のチームカラーと見事に合致していたことがベテラン投手・山本昌が長く活躍できた一因だと思う。

決して速いとは言えないストレート、山本昌の投球の約50%はこのボールが占める。球速が遅いことから技巧派あるいは軟投派と思われがちだが、実のところ本格派ピッチャーなのである。130キロ台のストレートを抜群の制球力でコーナーに投げ分けつつ、100キロ台のカーブと110キロ台のスライダー、そして120キロ台後半のスクリュー(昌のスクリューは意外にも結構速い)で打者を手玉に取る。これが山本昌のピッチングだ。

ストレートがあるからこそ変化球が活きるし、変化球を意識させるからこそ更にストレートが活きる。打たせて取るピッチャーだと書いたが「ストレートで見逃し三振」は非常に多かったように感じる。とりわけ、右打者インローへのストレートで見逃し三振! は何度見ても惚れ惚れするものだった。

もうひとつ長く活躍できた要因として、ドラゴンズの「充実したリリーフ陣」があったと思う。宣銅烈やギャラードをはじめ、セットアッパーからクローザーに転向した岩瀬仁紀や、落合英二、平井正史、岡本真也、鈴木義広、高橋聡文、浅尾拓也といった中継ぎ陣が控えていたから、ドラゴンズの先発投手は比較的短いイニングでマウンドを降りることが出来た。リリーフ陣の消耗という別の問題点はあるけれど、少なくとも山本昌にとっては「5〜6回さえ投げ切ればあとはリリーフ陣に任せられる」というのは安心感があったはずだ(ただ昌自身はリリーフに負担を掛けることを嫌っていて「可能であればいつでも完投狙い」だったように思う)。

そういえば、僕は地味ながら「打者としての山本昌」も好きだった。器用な軽打、安定したバント、ボール球を振らずに粘る姿勢。具体的なデータが無いから分からないけど、山本昌はピッチャーとしては比較的得点への貢献が大きかったように感じる。しかしながら数年前からバント失敗が増え、それには寂しさを感じていた。「投手としての山本昌」はまだまだ大丈夫でも、「選手としての山本昌」の衰えが垣間見えたからだ。ましてや、カーブが何球もすっぽ抜けたりするのを見た際には「投手としての山本昌」さえもがダメになってしまう気がして、身悶えするような心地だった。


贔屓にしていた選手がどんどん引退していくのを見て、4年ほど前、僕は「ドラゴンズ」が好きだったのではなく「ドラゴンズ"の選手"」が好きだったことに気付いた。チームそのものが好きなのではなく、贔屓にしている選手たちの集合としてのチームが好きだったのだ。かつて贔屓にしていた選手はいまは監督やコーチとなったり、解説者になったり、あるいは現役を続けていたりする。そうした(元)選手が結果を残せずに叩かれている様子を見るのが辛く、最近はあまりプロ野球を観ていなかったんだけど、それでも結果やタイトル争いを追ったりはしていた。ただ、これも「山本昌が引退するまで」となんとなく思っていた。そうでないとずっとずっと観続けていくことになるから、どこかで区切りをつけたかった。

自分がプロ野球を観るきっかけになった山本昌が引退する日。そのXデーが来ないことを半ば願いつつも、ついに今日、山本昌が現役最後の登板を終えた。「これから僕はプロ野球を一切見ない」なんてことは無いはずだし、そんなに厳しい戒律にするつもりもないけど、チェックする頻度は減っていくだろうなと思う。

ともかく僕にとってのプロ野球は、15年くらいの間、つねに山本昌あってのものだった。昌がいないドラゴンズ、あるいは球界というのはまだ想像できないけど、ひとまず今日は32年もの間ドラゴンズの34番として大車輪の活躍を果たし続けた山本昌選手に「お疲れ様でした」という気持ちを送りたい。
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